タヒチ・モーレア島の旅ー4
3連休、如何お過ごしですか?こちらは毎日35度を越える猛暑日が続いています。最高気温のベスト3には近隣の地名が入っています。岐阜県多治見や三重県桑名などです。この暑さのせいか、ガソリン高なのか今日は道路が随分空いていました。夏休みも始まったというのに外で遊ぶ子どもは一人もいません。静かでありがたいです?
タヒチの旅2日目、ゴーギャン博物館、植物園、マラアの洞穴、タヒチ博物館などを観光してホテルに戻ってきました。夕方までのんびり寛ぎます。この地図はフランス領ポリネシアの全図です。5つの諸島群に分かれており、全部で118の島があります。タヒチ島はソシエテ諸島にあり、明日から過ごすモーレア島もソシエテ諸島です。ポリネシア人は、東南アジアから渡来した海洋民族がそのルーツだといわれています。紀元前10世紀頃から移住の船旅を開始し、紀元後5~10世紀にかけてその最盛期を迎え、サモアからマルケサス諸島やソシエテ諸島へ、さらに遠くハワイ、ニュージーランド、イースター島へと移住の航海を続けて行った民族だとされています。大航海時代の16世紀、南太平洋エリアでの大発見を求めてやってきたヨーロッパの探検家たちが次々とポリネシアの島々を発見したのが、今日のタヒチの始まりです。1767年にイギリスのサミュエル・ウォリスがヨーロッパ人でタヒチを最初に発見し、続いて1768年にフランス人のブーゲンビル(ブーゲンビリアの名付け親?)、翌1769年にはジェームズ・クックがタヒチを訪れています。史実「戦艦バウンティー号の反乱」で有名なブライ船長がパンの木の採取でタヒチを訪れたのは1788年の事です。この時代タヒチは酋長が群雄割拠しており、絶えず酋長間の派閥争いがありました。その中でヨーロッパ人の援助を受けていたのがトゥ酋長でした。ブライ船長が去った後、反乱で戻ってきたヨーロッパ人を味方につけ、タヒチ統一を図り、最高統治者「ポマレ1世」が誕生します。1880年、フランスが諸島群を統合しフランス領ポリネシアとして植民地化しましたが、1957年に自治を認め、フランスの海外領土に昇格した後、現在では広範な自治権を確立しています。
シェラトン・ホテルに戻ってきてランチです。何を食べたかって?この日のランチは金沢の有名な笹寿司でした。タヒチに売っているのか?今回の旅友、金沢のMさんが日本から持って来たものです。この笹寿司がとても美味しくて、その上日持ちがするので海外では重宝します。ノンベイの二人ですからお茶で笹寿司なんてこともなく、しっかりアルコールつきでした。夕食は郊外のレストランを予約してあるので控えめにと言いながらついつい・・・・・
どこまでも美しい海を眺めながらのアルコールは、五臓六腑にしみわたり至福の時間となりました。
この日のディナーはタヒチ島の海抜600mに位置する高原レストラン「ル・ベルベデール」でいただきました。モーレア島の山・ベルベデールを対岸に抱く絶景の展望レストランです。サンセットを見るために少し早めにホテルを出発しました。原生林の茂る山道を走ること30分で到着です。
雲が覆っていてモーレア島の山が見えませんでしたが、先ずはヒナノビールを飲みながら夕日観賞です。
ハウスワインで乾杯です!適度な深みと香りに包まれた、もちろんフランスワインです。このデキャンタの大きさは、フルボトル1,5以上でお変わりをしたから合計二人で3本はゆうに飲んだ事になるんでしょうね!オソロシヤ!!我ながら呆れます!
タヒチで一番美味しかったのがパンです。このレストランのパンもとても美味しかったです。色とりどりのサラダも新鮮できれいでしたが、メインになる頃には酔っ払って写真もいい加減になってしまいました<(_ _)>。普段イモ嫌いでめったに食べないのですが、このポテトはワインとの相性抜群で全部いただきました。デザートもコーヒーもいらないからワインに変えてとお願いしてあったので2本目のワインが出てきたのです。外を見ると夜景がきれいでした。
ロマンティックな風景が自慢のレストランも私たちにかかったら台無しでしょうね。変な貯金箱?のような、募金箱?のようなものがあったので小銭を入れてきました。車に乗る頃には強烈な睡魔と闘いながらも必死で外の風景を見ていました。暗くてよく解らなかったのか、酔っ払っていて・・・・・・・・気付けばホテルでした。
午後から飲み続けのタヒチ2日目はこうして終わりました。
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