沖縄の旅・2
もずく天ぷらにもずくそばと、もずくづくしでお腹がいっぱいになり那覇市に戻ってきました。
首里城公園の駐車場に車を止めて観光です。守礼の門の前は相変わらず人がいっぱいです。南国沖縄ですね、ハイビスカスの花が咲いていました。守礼の門は城外にある門の一つで首里城への入り口です。創建されたのは尚清王時代の16世紀中頃とされており、復元は1958年に行われました。門は4本の柱で支えられ、「守礼之邦」と書かれた扁額が掲げられています。これは「琉球は礼節を重んじる国である」と言う意味だそうです。人気の無い2000円札にも見ることが出来ます。
守礼の門をくぐり進んでいくと、「琉球王国のグスク及び関連遺跡群」の一つとしてユネスコの世界遺産に登録( 2000年12月)されている『園比屋武御嶽石門』(そのひゃんうたきいしもん)が見えてきます。石門と周辺一体の森を「御嶽・うたき」とよんでいます。この石門は尚真王時代の1519年に創建されたといわれ、戦争で破壊されましたが、1957年に復元、その後1986年に解体修理されました。国王が首里城から出かける時は、この石門で道中の安全祈願を行いました。石門は祈願所、神社でいえば拝殿で、本殿にあたる建物はなく、奥の森がそれにあたるといわれています。さらに歩くと「歓会門」が見えてきます。首里城の城郭内に入る正門です。「瑞泉門」、「漏刻門・ろうこくもん」、「広福門」と歩いてきました。これより先は有料です。
「下之御庭・しちやぬうなー」といわれる広場では沖縄舞踊?が披露されていました。800円のチケットを買って(私が払ったわけではないけど・・・・)正殿へ!
「奉神門」は3つの入り口があり、中央が国王や身分の高い人用で一般の役人は左右の門から出入りしていました。門をくぐると、広い「御庭・うなー)」があり正面奥に「正殿」があります。御庭は東西約40m、南北約44mの広場で赤と白の敷き瓦が敷き詰められており、様々な式典の会場に使われていたようです。正殿に向かって右側に南殿、その右に番所があります。南殿は催行事や薩摩藩の役人の接待所などに使われ、番所(ばんどころ)は登城してきた人々の取次ぎを行っていた所です。現在、番所は見学コースの入口で番所、南殿には王朝時代の美術工芸品などが展示されています。
を脱いで見学です。
正殿の一階にある「御差床・うさすか」は、儀式や政治の際に国王が座る王座の事です。背後の障子の裏側には2階に通じる階段が見え、国王が通る階段です。両側の朱柱には金龍と五色の雲が描かれています。
二階の「御差床」です。ここには黄金の装飾装飾が施された椅子が置かれています。国王の王座として、ここで種々な儀礼、祝宴が行われたのでしょうね。
1429年から450年続いた琉球王国の歴史が感じられるところです。琉球王国とは、1429年~1879年まで続いた日本の南西諸島に存在した王制の国です。尚巴志(しょうはし)が、按司(あじ)と呼ばれる地方の豪族を統括し、はじめて統一権力を確立しました。これが尚家を頂点とする琉球王国の始まりです。その後、琉球では独自の国家的な一体化が進み、中国をはじめ日本、朝鮮、東南アジア諸国との外交・貿易を通して海洋王国へと発展していきました。首里城はその海洋王国の政治・経済・文化の中心であった所です。
日本で11番目の世界遺産として2000年12月に「琉球王国のグズク及び関連遺産群」が文化遺産として登録されました。首里城跡、園比屋武御嶽石門、玉陵、識名園、今帰仁城跡、勝連城跡、座喜味城跡、中城城跡、斎場御嶽の9ヶ所です。
たっぷりと首里城を見て迷いながら、今宵のお宿である「ザ・ナハテラス」へ!
10Fの部屋は眺望抜群でした。日本のホテルはきれいですね、ホントに!真っ白なシーツやタオルを見るのは久しぶりです。2Fのクラブラウンジでチェックイン、ニッサンの和風リムジン?でデューティーフリーの送迎、カクテルバーのサービスなどが付いています。急いでショッピングに出かけ、ラウンジのスタッフの推薦する地元の店に夕食です。
地元の人ばかりの店で繁盛していました。さすが沖縄、日本酒などはなく、焼酎オンリーでした。先ずはビールで乾杯です。第一おつまみは「島らっきょう」です。本場もんは格別の美味しさがありますね。
泡盛の水割り、麩チャンプル、ゴーヤサラダなど相変わらずアッサリ系の食事です。この豚の足は、他の人が頼んだのを写しただけです。どうぞ、と進められましたが、丁重にお断りしました。
充実した沖縄の一日が終わります。タクシーでホテルに戻り眠りました。
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