2009年2月 1日 (日)

ブログのお引越し!

容量がいっぱいのためお引越ししますbusdash

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よろしくお願いします<m(__)m>

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西アフリカ マリの旅・2日目

昨日今日と暖かな陽射しと強い風が吹くお天気です。そんな中、デジカメを買いに行ってきました。昨年の3月、アジスアベバのスーパーで盗難にあい、帰国後買ったカメラが今回の旅で突如壊れてしまいました。神がかり的な壊れ方でした。僅か10ヶ月の間にデジカメは素晴らしく進歩していました。チョイイケメン店員お勧めは、オリンパスの光学7倍ズーム、3,0インチ液晶、1000万画素でした。SDメモリーカードが使えないのが不便でしたが買ってしまいました。これで6,7台目くらいでしょうか?壊れたり、盗まれたり、新しいデザインが良くなったりといろいろですが、過酷な旅にはカメラは最低2個は必要だと思いました。何でも新しいものは楽しいですね!

2009年1月16日(金) 01:37(日本時間・03:37) エチオピア航空609便にてバンコクからエチオピアのアジスアベバに向けて離陸です。珍しく7分遅れでした。                 Cimg6832

機内はアフリカモードいっぱいです。昨年、エチオピに行った時は、エミレーツでセントレア→ドバイ→アジスアベバでしたからアラビックな雰囲気に満ち溢れていましたが、さすがエチオピア航空、シートも人もブラックです。フライト時間約9時間とのこと、適当に飲んで眠って、目覚めたら映画を見てまた飲んで過ごしたらアジスアベバに着いていました。Cimg6834

6:24 予定より1分早く到着でした。バンコクとの時差は-4時間、日本時間にすると1月16日の12時24分です。昨日セントレアに集合してからすでに24時間経っています。アジスアベバの空港では待ち時間は約4時間です。空港のショップは早朝でも開いていましたが、さほど欲しい物も無いので昨年入ったレストランで休憩です。                         Cimg6840 Cimg6841 Cimg6842 Cimg6843          

人も少なくのんびり時間を過ごせましたが、クリスマスツリーはいつまで飾っているんでしょうね?久しぶりのエチオピアビールにハラールのコーヒーは懐かしかったです。空港内のレストランにしては料金がとても安いところです。北京や広州の空港で飲むコーヒーは驚くほどの値段です。インスタントなのに!Cimg6844

マリの首都・バマコに飛ぶ機体が見えてきました。バマコまで直行便だと思ったら、ブルキナファソの首都・ウガドゥグを経由するとのこと。

Cimg6845 Cimg6846          10:40(日本時間16:40) エチオピア航空909便の離陸です。

13:35 ブルキナファソに到着です。エチオピアとの時差-3時間で、日本との時差は-9時間です。1時間の機内待ち、バマコに到着したのは15:36(日本時間1月17日0:36)です。やっと空港に到着したのがこの時間ですよ。家を出たのが1月15日の10時30分、バンコク、アジスアベバ、ブルキナファソと経由してマリに着いたのが1月17日の0時30分、38時間かけてバマコ空港にたどり着いたのです。入国審査を通過、イエローカードを提示してホテルへ向かいます。           

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2009年1月30日 (金)

西アフリカ マリの旅・1日目

1月26日に帰国した時はとても元気でしたが、翌日、目を覚ましたら11時でした。全身が気だるく吐き気、悪寒、頭痛で起き上がることが出来ません。いつまでもず~とこのまま寝ていたい・・・・・と思いながらウトウト・・・・・時計を見ると午後3時でした。その次の日もダラダラの一日でした。疲れた身体に鞭打ち、木曜日は銀行に出かけました。Cimg7072 Cimg7075

弱りきった私を労わってか、現在名古屋三越でやっている全国すし展の中でも最高品のお寿司を買ってきてくれました。これは、気仙沼・あさひ鮨のフカヒレ鮨です。姿造りを3貫と軍艦を2貫食べたら、アラ不思議!たちまち元気になりました。コリコリとしたフカヒレの食感は言葉に出せないくらい美味でした。今までの疲れは、アフリカでの栄養不足?だったのでしょうか!                Cimg7073 Cimg7074 Cimg7077

こちらは京都祇園のいずうのサバ寿司です。今日のお昼に2切れほど食べましたが、昆布を外すとまったりとした粘りがあり、これもまた極上のお味でした。毎日美味しいものばかり食べて、グウタラしていて罰が当たりそうですね。ここ数日の疲れで、当分、秘境には行きたくないと思っていますが、いつまで続くことやら自信はないです?

1月15日(木) 12:35 中部国際空港出発ロビーに集合です。

          14:44 JL737 バンコクへ向けて離陸です。約6時間半のフライトは、いつもの如く、映画を見たりワインを飲んだりです。時差2時間マイナスでバンコクに到着したのは19:24です。2ヶ月ぶりのバンコクの空港です。11月にラオスから帰国した後、占拠事件があったところです。今回は何事も無く、相変わらず賑わっています。1時間遅れで関空からやってきた大阪グループと合流です。旅友のKさんと1年ぶりの再会です。関空組には、昨年5月のイスラエルで一緒だった人が、偶然2人いて懐かしさに華が咲きました。バンコクでの待ち時間は約6時間です。エチオピア航空の出発は日付が変わってからです。セントレアを離陸してから13時間、家をでてから17時間、ウンザリするほどの時間をかけないとバンコクを飛び立てないのです。これからの旅の長さとまともに飛ぶか疑わしいエチオピア航空の不安を抱えながらバンコクの空港でひたすら待ち続けていました。

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2009年1月26日 (月)

帰ってきました(@_@;)!

本日早朝、セントレアにナンとかたどり着きました!かなりズブトイ体力の持ち主ですが、疲れました。マリは遠いです!そして日本は寒い!何時間飛行機の中にいたのか、空港でどれだけ待ったのか、考えたくもない心境です。今回の旅行中では、「早く日本に帰りたい・・・・・・もう、海外旅行は嫌だ・・・・・」と不覚にも思いましたが・・・・・??来月の末に中国の菜の花畑を見に行こうかなと計画していましたが来年にします。しばらくは日本にいて静かに暮らします?写真の整理をして、追々マリ旅行記を書き始めます。先ほど届いたバッグを開けたら、ムッムッ・・・・とする強烈な臭いがしました。砂とホコリに満ちたアフリカの思い出したくもないにおいでした。明日は大洗濯です。こんなに汚れた旅は初めてです。9時間の時差もさほど感じませんし、体調もまあまあですから無事な帰国といえるのでしょうね。今日の夕食は湯豆腐でも食べて、疲れた胃を癒してあげようかしら・・・・これって、私が作るのよね!誰も作ってくれませんよね、日本では!野菜不足で、特に葉物がほとんどないところだったので、野菜たっぷりの湯豆腐でも作りますか。それに熱燗でbottle。なんだかんだ言っても日本は最高です!

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2009年1月14日 (水)

北京の旅・4日目ー3、 5日目 明日から出かけます!

今朝はこの冬一番の冷え込みでした。10時頃、車で出かけようとしたら、ウインドガラスに氷がビッシリ張り付いていて、ワイパーを動かしても取れません。お湯を取りに行くのも面倒なのでカードでガリガリ取りましたが、本当に寒かったのですね!出発準備もやっと終え、宅配業者を待つだけですが、何か忘れ物をしているようで妙に落ち付かない変な気持ちです。絶対何か忘れている・・・・・・最近こんな脅迫観念に取り付かれるようになりました。パスポートとお金さえあれば何とかなるのですが、旅立ち前の不安に悩んでいます。

2008年12月29日(月) すっかりきれいになった胡同を輪タクで回り、お宅拝見をして昼食です。 Cimg6710              

北京の中心部から南西へ15km程行ったところに(1時間10分かかりました)、マルコポーロがその著書・東方見聞録の4章のなかで「世界中どこを探しても匹敵するものはないほどの美しさ」と絶賛した橋、「盧溝橋」・「マルコポーロ橋」に到着です。橋の袂には乾隆帝の筆と伝えられる「盧溝暁月」の石碑があります。皇帝がここで月を見たということから、現在も中秋の名月の夜には多くの人が訪れます。1192年に完成しましたがその後度々修復されています。全長は266,5mで11個のアーチからなっています。アーチ1個は11mの大きさで、扁平率0,69の楕円形です。橋の欄干には獅子の彫刻があり、それぞれ異なる表情、姿をしていて総数は501個です。この数を通行人が正確に数えることが困難なことから、数えられないもののたとえとして「盧溝橋の獅子」という言葉もあるそうです。Cimg6711 Cimg6712 Cimg6713 Cimg6715 Cimg6716                                          

中華人民共和国成立後は、舗装されて自動車も通行可能でしたが、史跡保護の必要から1980年に修復工事が行なわれて、現在は自動車の通行は出来ません。端の中央部にに昔の石畳が一部復元されています。遮るものがないので強風に倒れそうになりながら橋の真ん中を歩きました。盧溝橋といえば「盧溝橋事件」を思い出される方もいるかもしれませんが、その事件の起きた所です。盧溝橋事件(中国では七七事変)は、1937年(昭和12年)7月7日に盧溝橋で起きた発砲事件で日中戦争(支那事変・日華事変)の発端となりました。この事件をきっかけに、日本軍と国民党政府は戦争状態に突入していきました。Cimg6708_2     

入り口近くにある明末に建設された城郭都市・宛平県城が再現され、城内には「中国人民抗日戦争記念館」があります。広場にはたくさんのオブジェが置かれています。                       Cimg6722 Cimg6720 Cimg6721 Cimg6723 Cimg6724

日本が悪かったのでしょうか??

Cimg6727 遠く盧溝橋を眺めながら、さらに南西へと進みます。

北京の世界遺産を巡る今回の旅、最後の世界遺産は周口店の北京原人遺跡です。北京の南西54km、房山区の周口店にある遺跡です。Cimg6731 Cimg6732

駐車場から坂道を歩くと周口店遺址博物館の北京原人が出迎えてくれます。先ずは博物館から見学です。

Cimg6733 Cimg6735 Cimg6737 Cimg6738                            

北京原人の頭蓋骨などもありましたが本物ではなく、全体として対したものはないように思いました。1929年に北京大学の考古学者によって、竜骨山を中心とする石灰岩の洞穴の裂隙内で旧石器時代の遺跡が発見されました。約50万年前のシナントロプス・ペキネンシス(北京原人)の頭蓋骨、大腿骨、上腕骨などの骨をはじめ、石器や石片、鹿の角の骨器、火を使用した遺跡などが発見されました。北京原人は、発掘された遺跡などから、直立して歩行し、採集や狩猟生活を主とし、河岸や洞穴の中で群れをなして集団生活をしていたようです。握斧など打製石器を使ったり、物を焼いて食べる習慣があったことなどもわかりました。1987年に文化遺産としてユネスコの世界遺産に登録されました。Cimg6740 Cimg6742 Cimg6743

発掘現場を見て、北京市内に戻ります。

Cimg6748 Cimg6750 路線バスの中にはテレビがあり、アニメなどが流されていました。この日の夕食は、「東華門四川飯店」で四川料理です。周恩来が最も好んだ店だといわれています。店の前にはたくさんの露店が並んでいました。

Cimg6752 Cimg6753 Cimg6754 Cimg6755 Cimg6756 Cimg6757                                     

オリンピックのためにきれいに整備された露店で蟹を買いましたが、身が少なく食べるところがなかったです!

Cimg6760 Cimg6761 Cimg6762 美しくライトアップされた天安門広場に別れを告げホテルに戻りました。

Cimg6764 2008年12月30日(火) 7:10 ホテルからの眺めです。やっと明るくなってきました。4日間お世話になった北京西国貿大酒店を出発して天津に向かいます。

Cimg6768 10:00 天津に到着です。海河は凍っていて釣りをしている人がいました。天津市民の台所・南市食品街の見学です。

Cimg6770 Cimg6771 Cimg6772 Cimg6774 Cimg6775 Cimg6779 Cimg6780                                     

通路では細工料理の作品展が始まっていました。完成品もあれば製作中もあり、各店の料理人が頑張っていました。今では「狗不理」といえば、中国では肉まんの代名詞になっていますが、「狗不理包子舗」は100年以上続く老舗だとかで、ここで名物の肉まんの昼食です。袁世凱が西太后に「狗不理」の肉まんを献上したことから一世を風靡することになったそうです。「狗不理」とは、創業者のあだ名で、「犬も相手にしない頑固者」の意味だそうです。ハッキリ言って、中村屋の肉まんの方が数倍美味しいです!

Cimg6783 試食用に置いてありましたメロン?Cimg6782 大根でした!

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もう一つの天津名物の「麻花」です。小麦をこねて、長さ20cmくらいにねじって油で揚げたかりんとうのようなお菓子です。まだ食べていないのでお味はわかりません。

Cimg6784 人口1200万人の工業都市・天津は、いまや新幹線で北京まで30分という近さです。日本の企業もトヨタをはじめたくさんあります。市の中心部には19世紀にイギリス、フランスなどが租界を置いたため、現在でも古い洋館が残されているようで、いつかゆっくりと回ってみたいものです。Cimg6786

日差しがいっぱい降り注ぐ新しい空港です。14:30 離陸です。

17:43 セントレアに到着です。ラウンジで軽くビールを飲んで、名鉄・近鉄と乗り継いで帰宅です。5日間の短い旅でしたが、それなりに楽しかったです。中国は近くていいですね。連泊ものんびりして最高です。

明日から出かけます。今年初めての旅行です。行く先は西アフリカ・マリ共和国です。家をでてから35時間後に到着するところです。順調に行ってこの時間です。先ほど荷物も集荷され、後は行くだけです!どうなることか、かなり不安ですが・・・・・何とかなることを信じて出かけます。しばらくブログはお休みです。無事帰国したらマリの旅を紹介します。

それでは、砂漠の国、灼熱の地へ行ってきまーす!!

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2009年1月13日 (火)

北京の旅・4日目ー2

洗濯物を干すと雪がチラチラ、家の中に入れるとお日様ポカポカ、急いで外に出すと雪が・・・・・ナメトンノカイ!!今年初めての名古屋行きでした。名古屋メシのランチを食べ(あんかけスパゲッティ)、丸の内のギャラリーで名古屋の画家の作品を見てきました。もちろんバーゲンの洋服も少々買いました。都会のお散歩は楽しいですねhappy01!秘境の旅行に使うお金をバーゲンの洋服に変えたら、持ちきれないほど買えるのになー、っと思いましたが、一瞬思っただけで、やはり旅行に使います!

2008年12月29日(月) 西太后の避暑地・頤和園の寒ーい観光を終え、北京の市内に戻ってきました。Cimg6690

11:40 胡同(フートン)の観光です。胡同は北京市の旧城内を中心に点在する細い路地のことです。伝統的家屋建築である四合院が多くこの胡同に面し、古きよき北京の面影をしのばせるところ・・・・・でしたが、オリンピック開催に伴う都市整備や再開発ですっかり変わってしまいました。以前訪れた時は、崩れた外壁、今にも壊れそうな家、共同トイレの悪臭など、汚さのデパートのようなところでしたが、見事に変貌していました。ネズミも悪臭もきれいサッパリ消えていましたが、中国らしい懐かしい風景もなくなっていました。胡同の歴史は、1267年から現在の北京に建設が始まった元朝の都・大都の道路建設に関する規定からです。幅24歩(約37,2m)を大街、12歩(約18,6m)を小街、6歩(約9,3m)を胡同としています。後に明朝3代皇帝永楽帝が南京からこの地に都を移した際、大都を基礎として北京城を造り、城内のほとんどの道路は大都からそのまま継承しました。、明代以降は、道路建設に関する規定はほぼなくなり、不規則な路地が多数出現しました。12代嘉靖帝の時代に、北京の南側に補強する形で外城の建設が始まって以降は、さらにその数を増やしていきました。清朝の頃には2076、1949年の統計では6000以上存在したといわれています。ニュースで壊されていく胡同の映像を何度か見ましたが、良いのか悪いのか判断がつきませんでした。新しく整備されたといってもそこは中国、上っ面だけの整備で、一歩?2歩入れば、以前と変わらぬ姿も残されていました。頭かくして尻隠さず・・・・・?Cimg6691 Cimg6692 Cimg6695 Cimg6696 Cimg6698

寒さ除けのひざ掛けが用意された、自転車タクシー(輪タク)で胡同めぐりです。外壁はきれいに造りかえられていました。お洒落なカフェもあり、観光スポットになっていました。Cimg6707

胡同のお宅拝見です。門に入る階段が多いほど身分が高いそうです。北京四合院は、風水の影響もあり、大まかな建物や門の配置が決まっているようです。

Cimg6699 Cimg6700 Cimg6701 Cimg6703 Cimg6704 Cimg6705                                     

中庭を中心に建物があり、日当たりの良い南側の家はおじいさんが住んでいます。家の中を覗きましたが、お爺さんはいませんでした。テレビやベッドもありいい生活をしているようです。2匹の犬が昼寝をしていました。息子夫婦などと何世帯かで共同生活しているようです。人に見せるくらいだから、この辺りではトビっきり裕福な家なんでしょうね?

Cimg6706 胡同の家の多くは各住居にトイレを持たず、共同トイレが各胡同ごとに設置されています。これは、新しく作られた共同トイレですが、俗に言う「ニーハオ・トイレ」です。新しいものを作るなら、個室とは言いませんが、せめて仕切りくらい付ければいいのにねー!見るだけで絶対使いたくない!!台所も持たない家も多く、そのため安価な食事場所「小吃」という軽食堂があります。変わりゆく胡同ですが、何ゆえにドアなしトイレが好きなんでしょうか?以前、雲南省を旅したとき、現地の若いガイドに「トイレのドアがなくても恥ずかしくないの?」と訪ねたら、「皆、同じことをするんだから恥ずかしいとは思わない」との答えが返ってきました。北京はオリンピックのために古いものを壊し、すっかり新しくなったと思って来た私が甘かったようです。見かけだけはきれいになっていますが、このようなトイレが堂々と残っていたり、「ガァー・ペッ」の痰吐きや期用に指で鼻をかむ人など少しも変わっていませんでした。

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2009年1月12日 (月)

北京の旅・4日目ー1

大粒の牡丹雪が朝から降っていましたが、お昼ごろには陽が時々差してきました。根性の無い雪ですね!雪が落ちるのをボンヤリと眺めるのが大好きな私にとっては、いささか淋しいお天気です!

2008年12月29日(月) この日も7時40分、ホテルを出発です。    Cimg6647

1時間走って「頤和園」に到着です。頤和園は北京市内から西北約10kに位置しています。1998年にユネスコの世界文化遺産に登録された庭園公園です。初めは1153年に建造された皇帝の行宮でした。本格的な離宮に整備したのは清の乾隆帝で(1570年)、万寿山や昆明湖の大規模な工事を行い、今見るような風景を築きました。1860年、第2次アヘン戦争といわれるアロー号事件で英仏連合軍によって破壊されますが1888年、西太后慈禧によって再建され、完工後に頤和園という名前になりました。頤和園は、仁寿殿を中心とする政治活動区、玉瀾堂、楽寿堂などの皇帝の生活区、そして、昆明胡(220ha)と万寿山(高さ58,59m)からなる風景遊覧区に大別されます。総面積は290haで、そのうち昆明湖が4分の3を占めています。3000余りの殿宇があり、山と湖の形に基づいた配置がなされ、建築群は西山の群峰を借景に変化に富んだ景観を作り出しています。中国4大名園(蘇州の拙政園、留園、承徳の避暑山荘、北京の頤和園)の一つであり、1924年以後、公園として一般公開されています。西太后の夏の離宮、避暑地だったところですから、北京より夏は涼しい・・・・ということは、冬は寒い!昆明湖の水は凍り、湖面から吹き付ける風の冷たさは身を切るようで、美しい風景もゆっくりとは楽しめませんでした。避暑地に冬来るのですから、かなりのオCimg6652バカですよね!                                Cimg6653

西遊記をモデルにした大きな石が置いてありますが、それらしく見えませんでした?

Cimg6649 仁寿殿は、西太后や光緒帝が政務を執り行ったり、外国の使節との会見などの外交にCimg6657Cimg6658使われたところです。

Cimg6654 「寿星石」は、1886年に頤和園が再建されたとき、墨爾根園(現在の北京大学の構内)から移されたもので、変わった形をしていて寿星(寿老人)のように見えることから名付けられました。

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凍りついた昆明湖から見える仏香閣は西太后の居室だったところで、四合院形式で八角形3層の美しい建物です。西側が寝室、東側が食堂になっています。Cimg6670

夜な夜な京劇を楽しんだ西太后のために、明かりを灯した提灯を吊り下げた台だそうです。

Cimg6672 楽寿堂は、西太后の部屋で皇后座が置かれていました。四合院形式で西側が寝室、東側が食堂になっていました。

Cimg6681 「青芝岫」、俗称「敗家石」といわれています。明の官僚の米万鐘は北京の房山でこの艶のある青くて霊芝に似た石を見つけましたが、運ぶ途中経済上の問題で郊外に捨てざるをえなくなりました。その後乾隆帝が巨大な資金を投じてここに移しました。中国最大の庭園石です。Cimg6675 Cimg6676 Cimg6677 Cimg6680

「長廊」は、万寿山と昆明湖の間にある長さ726mの回廊です。回廊の柱の梁には歴史や神話をテーマにした絵が描かれています。三国志や西遊記などの名場面が描かれていました。歩く美術館のようで楽しい廊下です。どれ一つ同じ形のない窓も見応えある楽しいものでした。国家の財政難にもかかわらず、海軍の軍事費3000万両を流用して再建した太っ腹な西太后の造った宮殿だと思いました。軍事費を使ったため、日清戦争で敗北したともいわれていますが?解るような気もします。Cimg6682 Cimg6684

孔雀の形に見える木です。

清時代の衣装を身に着けた人です。

Cimg6688 Cimg6689 市内に戻りますが、いつもの大渋滞です。ナンバーの数字で規制されているようですが、この日も守る人は少なかったようです。末尾9の車は走れない日でしたが、結構走っていました。

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2009年1月11日 (日)

北京の旅・3日目ー3

Jpg 朝から小雪が舞い、陽射しもなく寒いです。バッチリメイクをしましたが、この寒さでは出かける気もしなくて(本当は出かけるところがないのです)家に篭っています!この見事なカトレアは、花育ての上手なK・Iさんから頂きました。1つの株から9輪の花が咲いたそうです。それも数年前のもので、毎年美しい大輪の花を咲かせるそうです。花咲かせの上手な彼女ですが、ブログのテンプレートを変えると、「開けない!」そうです。先日からテンプレートがチョコチョコ変わるのはそのためですが、何か良い方法があったら教えてください<(_ _)>!

2008年12月28日(日) 明・清時代の街並みを再現した「門前大街」を歩き、天安門広場から故宮博物院をたっぷり観光し、清王朝時代からあるシュウマイの有名店で昼食です。Cimg6599 Cimg6601 Cimg6600 Cimg6598                                     

「都一処」は、北京では有名は店で地元の人で賑わっていました。テイクアウトも出来るようで、この父子もお持ち帰りをしていました。赤い花で飾られた車は結婚式用です。午後の観光は世界遺産・天壇公園の観光から始まります。                   Cimg6606 Cimg6603 Cimg6604 Cimg6605

東門から入り七十二長廊を歩きますがこの風景です。退職した年配者の社交場ですが、この日は日曜日だったので気持ち若目の男女もいっぱいいました。アコーディオンに合わせて朗々と歌うグループが何組もいました。カードをする人、ニコを引く人などであふれていました。掻き分け進むと、今度は物売りです。北京オリンピックのロゴ入り毛糸の帽子が最初は「3つ1000円」、だんだん進むと「10個1000円」になります。1個・100円でも過ぎたオリンピックの帽子なんか買ってもね~!10個1000円で買った人がいましたが、敵もさる者、後で数えたら9個しかなかったそうです。恐るべし中国!!Cimg6614 Cimg6612

「天」は中国人にとって昔から至上のもので、万物を支配する最高権威です。皇帝は、その「天命」を受けた「天子」であり、天を祭る特権を持っていました。北京には故宮を中心として東西南北にそれぞれの神を祭った日壇、月壇、天壇、地壇が設置されています。天壇は南北1,5km、東西1km、面積270万平方mで中国最大の壇廟建築群です。故宮の約4倍の広さで、1998年にユネスコの世界遺産に登録されました。明の永楽18年(1420年)に創建され、明と清の2王朝の皇帝が毎年天の神を祭り、皇室先祖、五穀豊穣、雨の少ない年は雨乞いなどを行なったところです。写真の「祈年殿」は、天壇で最も有名とされる建造物の一つで、天安門や故宮と共に北京のシンボル的存在とされています。ここで皇帝は正月に上辛五穀豊穣の祈りを捧げました。高さ38m、直径32m、25本の柱に支えられる祭壇で、現存する中国最大の祭殿です。金色に輝く宝頂の下の屋根は、瑠璃瓦葺きの三層になっています。明時代には上から青、黄、緑となっていましたが1751年にすべて青色に変えられました。青色は空を表しているそうです。内部の4本の柱は四季を、外側の12本の柱は12ヶ月を表しているといわれています。Cimg6615 Cimg6616

!この看板は?そうです!!パンダです。北京動物園のパンダ館です。北京動物園は1908年創立という歴史あるところです。日中国交正常化の記念に中国からパンダが上野動物園に贈られ、立ち止まることも出来ず押されながら一瞬見た、遠い日の記憶が・・・・・・・パンダ見たさに、一人新幹線に乗り、上野動物園の入り口で2時間位待ち、やっとご対面、その時間数秒・・・・・家族にも内緒でこっそりと見たあの日の思い出が浮かんできます。北京動物園のは3頭、四川省の地震で預かっているのが9頭いるようですが、はたしてゆっくり見ることが出来るのか心配でしたが行列もなくスンナリ入れました。Cimg6619 Cimg6631 Cimg6632 Cimg6633

人は少ないのですが暗い!丁度パンダは夕食中で、笹の葉をもぐもぐ食べていました。1室に1頭、個室生活です。愛嬌あるパンダは木登りや逆立ちを見せてくれました。Cimg6623 Cimg6624

オリンピックパンダと呼ばれる四川省から来たパンダは外にいました。第一声「汚ーい」でした。真っ白なパンダを思い描いていたのに・・・・薄汚れたベージュのパンダでした。オリンピック中はきれいにしていたのでしょうね?ガラスにへばりついて人参を食べる姿を見ていました。たくさんのパンダをゆっくり見ることが出来るのは、中国ならではのことで、いつかもう一度来たいと思いました。四川省にも何度か行っていますが、パンダを見る機会がなかったので今度行く時は絶対パンダ保護区に行こうと思いました。Cimg6637 Cimg6638 Cimg6644

1903年創業の「東来順飯荘」で夕食を済ませ、ライトアップされた天安門広場を眺めながらホテルに戻りました。

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2009年1月10日 (土)

北京の旅・3日目ー2

Jpg 3連休の始まりですが、何の予定もなくボーっとしていますgawk!マリ行きの荷物も詰めなくては・・・・と、思いながら・・・・何もしていません!!窓からの日差しが暖かく、体はポカポカ、頭はスカスカ、ひたすらダラダラの日向ぼっこに明け暮れそうです。

12月28日 引き続き故宮博物院の観光です。1947年、政府は最後の皇帝・溥儀の退去とともに紫禁城を「故宮博物院」と名付け、歴代皇帝の収集文物を管理することになり、1987年にユネスコの世界遺産に登録されました。紫禁の紫は、紫微垣とい中国式の星座に由来し、動くことのない天の支配者を指し、禁断の皇宮を意味しています。「天子は南面す」の言葉どおり、北に皇帝の宮殿が置かれています。Cimg6523 Cimg6526 Cimg6527 政治の中枢となった外朝の正門である「大和門」を潜ると、映画「ラストエンペラー」のロケ地が広がっています。故宮の門の中で最も位が高い大和門は、高さ24mの楼閣です。紫禁城には「御門徳政」という制度があり、明の時代には皇帝がこの門で政務や大臣の上奏を聞き(朝拝)、決定を下していました。外朝は皇帝が政務や儀式を行ったところで、外朝3大殿(大和殿、中和殿、保和殿)を中心としています。大和殿は正殿で、大和殿前の広場が皇帝を迎えた国家行事の式典会場となりました。主な儀式は、正月元旦、冬至、皇帝誕生日の万寿節などの他、皇帝の即位式や結婚式なども行なわれました。映画「ラストエンペラー」で皇帝溥儀が即位したのもこの場所です。その朝賀(皇帝への閲見)は盛大で、1500人以上の宮殿近衛兵が参列者を出迎え、皇帝は大和殿の玉座でその様子を眺めていたようです。大和殿は高さ35m、幅約63m、奥行き33,33m、面積2377平方mもあり、中国最大の木造建築物で、世界最大の木造宮殿といわれています。Cimg6528 Cimg6529 Cimg6530 Cimg6531 Cimg6532                                    

中和殿は正方形の建物で、皇帝が重要な儀式に出席する際に休憩する控えの間でした。大和殿へ向かう前に役人の上奏を聞いたり、春分など節目の祭事前日に農具や祭文を皇帝自身が確認したところといわれています。その北にある保和殿は、毎年の大晦日と正月の15日に宴会を催したり皇帝が更衣をするところです。乾隆帝以来、科挙の最終試験「殿試」が行なわれました。柱がないのは、カンニングをさせないためだともいわれています。Cimg6533 Cimg6534                

故宮に数ある雲龍彫石のなかでも最大の大きさで長さ16,75m、幅3,07mの一枚石に彫られており、重さは約250tです。つづいて皇帝や皇后たちの私的生活の場である内廷へと向かいます。                                 Cimg6535 Cimg6536 Cimg6537

内廷の正門であった乾清門は、清時代の康燕帝や乾隆帝はここに玉座を設け「御門徳政」を行なったといわれています。乾清宮は内廷でひときわ大きく豪華な宮殿です。明代の皇帝と皇后の寝室として利用されていましたが、清代には政務室に使用されていました。皇帝が死ぬと棺は一旦ここに安置されました。内部には、順治帝が世継ぎ争いを避けるために密書を隠した「正大光明」の額が掲げれています。Cimg6539 Cimg6540 Cimg6541

交泰殿は皇后の冊立の儀式が行われたところです。皇后は元旦、冬至、千秋(皇后の誕生日)の祝賀をここで受けました。内部には乾隆帝が書いた「無為」の額があります。これは康燕帝以来の施政精神を表しています。                Cimg6543 Cimg6544 Cimg6546 Cimg6551

坤寧宮は清代に改装され、一部は占いを行なったシャーマンが神を祭り、供物を捧げる場となりました。明代には1644年の北京陥落のときに、崇禎帝が皇后・公主を殺したところでもあります。隣接する東暖閣は、光緒帝の結婚当時のままに保存されています。ここで2日間だけ一緒に暮らしたといわれています。              Cimg6552 Cimg6555 Cimg6557 Cimg6558 Cimg6559 Cimg6562 Cimg6563 Cimg6564

養心殿は西太后が幼い帝の後ろ(御簾の向こう側)に隠れ「垂簾聴政」を行なったところで、ここに置かれている玉座は子供用で低いものです。溥儀はここで退位を宣言しました。ガラス越しに内廷の生活を覗き見ていましたが、かなり疲れてきました。工芸美術館で休憩です。Cimg6566 Cimg6572                

嘘くさそうな書道家に「美」の文字を書いてもらいましたが、あまりの値段の高さに驚き、買いませんでした!!

Cimg6573 ラストエンペラーの中で、溥儀が自転車に乗って遊んだところです。

Cimg6574 Cimg6575 皇后や妃、宮女が住んでいた後宮は、内廷の東西に分かれていましたが、現在その東サイトは故宮が誇る文物展示館群になっています。皇極門の前にある九龍壁は高さ3,5m、幅29,4mの壁に色瑠璃瓦で9匹の龍が浮彫りにされています。清の乾隆帝の時代、1771年の作品で、このほか3ヵ所に九龍壁が現在しています。Cimg6579

珍宝館は主に清朝の所蔵した宝物が展示されています。皇帝皇后の衣装、金器・銀器、王冠、玉石彫刻など珍品が展示されています。

Cimg6581 Cimg6583 Cimg6584 Cimg6587 Cimg6588 Cimg6586                                    

巨大なダイヤモンドや親孝行の乾隆帝が、年老いた母の抜け毛をいれるために作った黄金の塔のような屑入れなどいろいろ展示されていました。が、目玉の象牙の敷物は外国に出展中とかで見ることが出来ませんでした。Cimg6590 Cimg6596                 

皇太后の命で殺された珍妃の井戸を見て、北門にあたる神武門から外へ出ました。歩き続けた3時間でした。

Cimg6597 お堀はすっかり凍っていました。スケートでも出来そうでした。

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2009年1月 9日 (金)

北京の旅・3日目ー1

今年初めての雨の日でしたが、さほど寒くなく暖かです。今晩から寒くなるそうですが・・・・・。

Cimg6488 12月28日(日) 7:30 ホテルの部屋から下を見ると、剣を持った人たちが体操?踊り?をしていました。昨日は誰もいなかったので、日曜日の集まりなのかしら?この日も出発は7:40分です。北京市内の観光でほとんどが徒歩です。気温は0度、刺すような冷たさの中、出発です。Cimg6490 Cimg6491

北京風ホームレス?

8:20 前門大街に到着です。ここも初めて訪れるところでオリンピック前日にオープンしたところだそうです。明,清時代の街並みを再現したところです。きれいに復元されていましたが、テナント料の問題でほとんどの建物は作られたままでした。90パーセント空き店舗です。Cimg6493 Cimg6494 Cimg6495 Cimg6496

当時の太鼓の形をした照明がお洒落でした。清朝時代からあるシュウマイの老舗「都一処」や同仁堂の薬屋くらいが目立つだけのところです。北京では知らない人はいない有名シュウマイ屋の前の銅像の真ん中は乾隆帝で、看板を書いたのも彼だそうです。朝早いせいもあるんでしょうが人はまばらでひっそりとしていました。建物だけでは仕方ないですよね。もの凄く家賃が高いらしいです?       Cimg6500 Cimg6501 Cimg6497

何もないところをブラブラ歩いていると天安門広場南の正陽門が見えてきます。冬場は電車も運休のようです。Cimg6502 Cimg6504      

牛乳ではなく豆乳を売っていました。鉄道博物館も入ってみたいところですが、横目で眺め、ひたすら天安門を目指して歩きます。首都北京の中心というだけでなく、中国のシンボル的存在の天安門広場は、故宮の前門であった正陽門から天安門まで南北880m、東西は500mで面積は44万㎡、50万人を収容することが出来ます。Cimg6506

中華人民共和国建国の父、毛沢東が眠る毛主席記念堂は多くの観光客が朝早くから詰め掛けていました。いつも人でいっぱいです。2,3時間並ぶのは当たり前のようで、ここも一度は訪れたいところです。Cimg6507 Cimg6509 Cimg6517

1958年のメーデーに建てられた人民英雄記念碑は高さ38mです。広場の中央にそびえ、革命のために命を捧げた人々の功績を讃える石碑です。碑に刻まれた金文字は、正面が毛沢東、背面が周恩来の筆によるといわれていますが、今だ見たことはありません。毛沢東の巨大な肖像画が掲示されている天安門にたどり着きました。天安門は、かつては故宮(紫禁城)の正門でした。最初の城門は、紫禁城を建設した明の永楽帝時代の1417年に造られた「承天門」でしたが、1457年に落雷で焼失します。現在の門は、清の順治帝時代の1651年に再建されたもので、このとき天安門に改名されました。明、清両王朝時代は、大きな法律や命令は最初にこの門から発令され、出発したり凱旋する軍隊を皇帝が謁見する場所でもありました。1949年10月1日に行なわれた中華人民共和国の建国式典で、毛沢東は建国宣言をこの門の上で行ないました。それ以降、この門は、中華人民共和国の象徴とされています。以前、ここに来たときは門の上まで登りました。5つの通路をうがった城壁の上に木造の楼閣が建てられた、中国の代表的な城門建築です。

中央通路の上の毛沢東の肖像画は、縦約6mもある大きなものです。建国当時は軍服姿でしたが、1950年代半ばには人民に親しまれるよう「人民服」に改められたようです。1989年の六四天安門事件では、学生が投げたペンキで汚されたこともあったとか?それにしても、人民服姿の人がいなかったです。3年くらい前は、自転車に乗った人民服・人民帽の人を結構見かけたのに・・・・・・・。自転車も随分少なくなりました。きれいな車がほとんどで、オリンピックの時にボロイ車や自転車は強制的に処分されたと現地ガイドが言っていました。Cimg6520   

いよいよ故宮の見学です。現在の故宮の正門・午門が見えてきました。午門は高さが36m、世界最大の城門といわれています。城の南北の中軸線(子午線)に位置していることからとか、官吏が午前4時にここで皇帝を遥拝することになっていたことからとか言われていますが・・・・・・・?

北京の故宮は昔、紫禁城と呼ばれていました。明の三代皇帝で世祖となった永楽帝(在位1402~1424)が14年の歳月をかけて1420年末に完成させた宮城で、1924年に最後の皇帝の溥儀(1906~1967)が紫禁城を出て行くまでの490年間、明・清王朝の24代の皇帝の居城です。南北960m、東西750m、面積72万㎡の敷地に高さ10mの暑い城壁と幅50あまりの塀をめぐらし、建築面積は、約16万平方メートルの中には大小60以上の殿閣があるという、恐ろしく巨大なところなのです。少しは陽もさしてきましたが寒風吹きさらす中を歩き続けるのは、それなりの服装をしていないと大変です。

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